「いしどうやま」とは

いしどうやま石堂山

 葡萄浪漫館が建っているあたりの地名、いわゆる「字(あざな)」です。小高い山で、昔は松茸の宝庫でした。
 落雷の名所でもありました。幹が裂けたり、枝が折れ曲がったりした大きな松の木が、山のてっぺんに数本あって、その独特のシルエットに風情がありました。
 山の中には、ぶどう畑も3haほどありました。それが今は農地整備されて、葡萄浪漫館北側のハウス群と西側の普通畑になっています。

 この地は「うしときば」とも呼ばれていました。かつて、どこの家にも農耕用の牛が飼われていて、子供たちは学校から帰ると牛を連れて山へ行くのが日課でした。牛を解き放って新鮮な草木を食べさせます。これを「牛飼いに行く」と言いました。みんなが牛飼いに行くことのできる共有地だったので「牛解き場(うしときば)」と呼ばれていたと思われます。

 また「かいこん」という別名も使われていました。戦時中、学徒動員で山を切り開いて畑にした開墾地なので、そう呼ばれていたようです。戦時中に開墾した土地は他にもたくさんあるのに、なぜここだけがという疑問もあります。

 この小高い山の中には、那須一族供養塔と思しき「宝篋印塔」が2基と「青野四国八十八ヶ所」のひとつ十二番札所「焼山寺」が祀られた小さな祠がありました。「宝篋印塔」は、源平屋島の合戦で功績を挙げた弓の名手「那須与一」の所領だったことから、那須氏ゆかりの史跡のひとつと言われています。現在いずれも、葡萄浪漫館の南側の道路脇に移設してあります。